|
发表于 2024-8-4 23:53:32
|
显示全部楼层
これも今は昔、田舎の児(ちご)の比叡(ひえ)の山へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きたるけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児さめざめと泣きけるを見て、僧のやはら寄りて、「などかうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを惜しう覚えさせ給ふか。桜ははかなきものにて、かく程なくうつろひ候(さぶら)ふなり。されどもさのみぞ候ふ」と慰めければ、「桜の散らんはあながちにいかがせん、苦しからず。我(わ)が父(てて)の作りたる麦の花の散りて実(み)の入らざらん思ふがわびしき」といひて、さくりあげて、よよと泣きければ、うたてしやな。 |
|